脳出血、くも膜下出血はどちらも脳に血液が入ってしまったことで起こる病名だ。
無二ぱんだの父はくも膜下出血で倒れ救急搬送されたので、この症状がどんなものか理解している。
私の父の症状に関してご興味があればカテゴリーの両親の病気を読んで欲しい。
さて、脳出血に関して不思議に感じた事があるので今回は思った事をつらつらとかいてみる。これは無二ぱんだ個人の考えであり、世間一般とは異なるかもしれないことを念頭に入れておいて欲しい。
元々人間の中には血液が充満しており、心臓に血管がパイプ役として全身隅々まで血液を日々循環していないと死んでしまう生き物であるはず。
皮膚の表面に傷がつけば血液が外に溢れ、空気と合わさる事で固まりそれ以上血液が流れるのを防ぐ役割を果たしている。
少々おおげさだが、人間の総血液量の約半分が外に出されると死に至るぐらいには血液は重要な役割を持ち大事な水分である。
なのに、血液の循環に大事な心臓や傷、全てに信号を出し指示を出している総司令塔の役割をしているはずの脳の外部に血液が触れると、体や記憶に損傷が出るのは不思議な話である。
少し話は変わるが、花粉症やアレルギーがおこる現象は、人の腸内で花粉や異物が仲間と認識されず敵とみなされ反発することが、アレルギーという名称になっている。
だから、花粉そのものをカプセルや液体として注射し体内に少しずつ入れて、これは敵じゃない味方なんだよと腸に認識させる治療法が存在する。
花粉症やアレルギーはなんとかその症状で苦しんでいる人を少しでも楽になれるように治療方法が確立され実施されているのに、何故脳出血やくも膜下出血にはそれが存在しないのだろうか。
というのも、人間の脳はとある水の中に浮いている。
この水に血液が入ると異物とみなされ、脳のどこに血液が触れたかによって体や記憶に損傷が起きる。
花粉症よりも付き合いが長いはずのくも膜下出血や脳出血なのにも関わらず、だ。
今現在血管が何らかの原因で破れ脳に血液が何度も行くのも防ぐために、まるで自転車のタイヤがパンクしタイヤから空気が漏れ出した箇所を埋めるかのように、血管に栓をし血液が流れ出ないような解決策を取っている。
しかしそれでは、花粉症の対策のような方法とは異なり後出しじゃんけんのようなやり方なのではないだろうか。
血管が脳内に行かないように溢れないようにする方法は、確定ではないにしろ解決策は薬や運動、食事で血液が詰まり破裂を防ぐ手段はあったはず。
それよりも脳はとある水の中で浮いている、と話したが水の中に血液が入ったとしてそれを敵ではなく味方だと認識される方法はないのだろうか。
想定されるとすれば、臨床実験の段階で脳内の水に少しでも血液を入れると心臓そのものが危険にさらされ、どういう状態で脳内で何が起こり死に至らしめるのかデーターが取れないとかでない限り、何らかの方法はあるはずである。
というか、あって欲しい。
花粉症とくも膜下出血や脳出血が発見された年数を比較したら、間違いなく後者の病気との付き合いが長いと思われる。
にも関わらず、脳と血液そのものの付き合いは長く、脳内に血液が入ると敵とみなされるとなると、人間とは不思議な生き物なんだなと考えてしまうのだ。
現代病ともいえる花粉症などのアレルギーは今は犬や猫などの動物でも起こり得る症状の一つとなっている。
もちろん、脳出血やくも膜下出血も犬や猫でも起きなくはないだろうが、ダントツで一番なのは人間だとすれば、他の動物よりも脳が大きく発達し脳と脳精髄水の量が多いからこそ、血液が入ってしまう隙間が大きいがために起こり得るものなのか・・・つくづく他の動物よりも脳が発達し肥大化したことが良くも悪くも血液を異物と認識するに至ってしまった生き物だと考えると、人間は凄く不思議だなぁ・・・と考えずにはいられない。
さて、余談ですがちょっと違う角度から。
冒頭で軽く触れたが、無二ぱんだの父がくも膜下出血に掛かったと話しました。
脳全体に血液が行き渡ってしまうタイムリミット(死に直結する)が48時間といわれており、父が泡を吹いて発見された時は、倒れてから6時間ほどでした。
発見が早かったことが救いでしたが、それでも意識不明でICUから通常病棟に移るまでには2週間かかりました。
この脳内で血管が破裂し6時間の間に脳と脳内にある水分に血液が混じったことで起きた症状は記憶喪失と味覚の変化、というのもまた不思議な話。
味の好き嫌いの好み、言葉を覚える記憶、感情を司る脳、心とは?と思える部分でさえも脳に血液が入ったことで生じる症状をその場で見ると、心とは脳とは一体なんなのか?と考えさせられる。
父の生前の嫌いな食べ物、嫌いな人、嗜好は、くも膜下出血を起こした後、全て記憶そのものが無かったことになったのだ。
また不思議なことに、倒れることになった数日前の記憶も父の脳内からは消え去り、数か月入院していた時の記憶そのものも、退院し暫くは記憶障害で時計の見方を忘れたり、日常の料理名、箸というワードが思い出せなくなったり、頭にそのものは思い浮かんでいるのに口に出して言おうとすると出てこない歯がゆい思いに、何故出ないのか悔しがり涙を流していた当時の父の日常の出来事さえ、13年経過した現在の父の中にはぼんやりとしか記憶が残っていないのである。
これを目の当たりにすると、脳というものが起こす人間の体は実に不思議だと思わずにはいられないである。