在宅が増えた頃から、社会的地位がある人や勝ち組と言われている人達の暮らしが幸せになるための条件、またはそこを目指して頑張ろう、みたいな傾向に寄ってきているように感じています。
なんでだろうね。蓄積された我慢がコップから溢れそうなのかな。
何か欲しいものがあったときに、お財布と要相談しなくても買えるようになりたいのかな。
「出費がかさむことで悩むぐらいなら、手元をどうやって増やしていこうかを考えればいい」
そういう考えもある。
ポジティブに考えたらそれも一理はあるとは思う。
でもそれじゃ、いくらお金が増えても減るばかりなんだよね。
まずは何に使って出費がかさんでいるのか、そこの見直しをする必要性があるから。
ポジティブ思考は都合がいい言葉だけど、裏を返すと見たくないものに蓋をして
良い方向に無理やりもっていってる状態といえなくもない。
本当にすごい資産化でお金を持っている人達って実はすごくケチで質素な暮らしが多いと感じる。
長く使える良い物には糸目を使わずにお金を出すけど、別にいらんかな、っていう部分は財布のひもは緩まない。
幼少期からずっとお金持ちと、幼少期は貧乏、大人になってお金という大金を貰うようになると抑圧された欲望が爆発して、散財気味になったりする傾向もある。
急に羽振りが良くなると色々なものを買っちゃって、結局手元にお金が残らない人っているよね。
無駄遣いともいえるし、欲望のままに無計画でその瞬間だけを生きている人ともいえる。それが本人にとって良いか悪いかは別として。
ちょっと話がズレる。
ぱんだはTwitterをやっているんだけど、自己紹介に経歴を書く人が増えたように感じている。なんだろうな、ブロガーさんや副業でなんとか本業より稼ぎたいっていう人ほど経歴を書いて履歴書みたいになってる。
誰からか、こうした方が良い出会いに巡り合えるよと友人の友人から伝わってきているのかもしれないけど、ブログをやっていない人からするとTwitterの履歴書化は距離を置かれる傾向にある。
なぜか?
よほどの有名大学以外、経歴をだすと当然その会社からエゴサをされるわけだし、会社内で学歴の話をしたり、前職の会社の話になったりする?
ならないよね。
だって恥ずかしいもん。
どこで誰に遭遇するかわかったもんじゃないし、Twitterで話盛って見栄を張るだけ後で辛いのは自分自身だし。
またアフィリエイトをやったことがない人達からも嫌われ気味。
だから、Twitterで色々な人達と交流を持ちたいと思うなら、ブロガーと名乗らずに
もっと趣味に特化したことをプロフィールに書くと交流が持てるよ。
Twitterは元々画像添付機能はなくて、ハッシュタグの文化もなくて、リアルで言えない本音をぶつぶつと独り言を吐く場所だった。
今もその用途をしている人が大半だし、なんなら企業アカウントでさえ商品セールは一切しないで業務外のTwitterの中の人の個人的な発言を呟くだけ、という運用の仕方が一般化してきてる。
Twitter副業の自称プロの人達の言葉を参考にするよりも、企業公式の中の人が語る「人気SNSのつくりかた」
こっちを参考にしたほうが分かり易くて知識増える。
フォロワー1万を目指して頑張りたい!!とかの次元じゃないからね。
で、話を戻す。
ステータスを求めて、がむしゃらに働いて買い物で我慢しないで好きなものを買いまくって、住みたい街ランキングの上位の都市へ引っ越して優越感に浸れるのは、引っ越してきて1か月ぐらいじゃないのかな。
分かり易い例えをするならば、東京大学へ入りたくて毎日勉強10時間しまくってなんとか無事に大学に入ることが出来たとする。
受かった!!嬉しい!!
最初は喜べると思うけど、その後に何が待っているかといえば、毎日勉強10時間しまくらないと頭に知識が入らない自分と、その半分の時間で済んで受かっている人とじゃ、授業を聞いただけで理解できるのか?という壁にぶちあたることになる。
結果的に、受かった後も下手したら毎日勉強10時間しなくちゃいけない羽目になるのが目に見えている。
要は、目標と達成を間違うと苦しくなる、という話。
そこは幸せとはとても言い難い。
ステータスを目標に夢に向かって走っている人は、なんなら中学生の頃から高校の進路、大学の進路、就職先の会社もある程度の目星をつけて突き進んでいるし、それが彼らにとっては当たり前の行動でもあるじゃん。
そこの計画性を持たずに、ただなんとなく受験の倍率に恐れ楽勝でいける学校へ入り、
大学も友人と同じ大学にして、就職活動でスーツで面接し結果に凹んでいる友人を見て、就職活動って怖い、そんなのやりたくない、もっと楽にお金貰って稼げるものは無いの?と就職活動せずに、フリーターの道へ。
根本の考え方が違うから、そもそも無理があるのだ。
Twitterの自称プロの人達は、豪邸や年中旅行へ行ける、旦那の小遣いを節約しなくてもいい、買い物に我慢する必要は無いなどと夢やロマンがあるかのような言葉を語るが、本当にステータスを目標に夢を実現できた人ならば、上記のような未来への進路もかなり先まで見越して日々生活をしてきたはずなので、そんな発言は出ないとぱんだは感じている。
自分を律して生半可な気持ちでいないからこそ、他人へ軽々しく人生を左右させるような言葉はいえないだろう。
言える人がいるとすれば、後者のフリーターの道を歩んできた人だと考える。
フリーターが悪いとは言っていない。あくまでこの話での例えである。
ちりも積もれば月10万の収入で実家暮らしであれば、年間60万貯金も可能なのだから。
ステータスを条件にするには、今自分が置かれている状況を冷静に客観的に見る必要がある。
身の丈にあった、給料の1/3の家賃で済む場所に引っ越しをすれば、
野菜が安い県、魚介類が安い県もあるし、土地自体が安い県もある。
なんなら物々交換でただで手に入るものが多い県だってある。
何よりも、ステータスを持っている人が心の底から幸せかどうかなんて
他人がわかるはずもないのだから。