ぱんだの徒然日記

無二ぱんだが料理やスイーツ、気になる事を追求していくブログ

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女性になりたい男性の増加、また多様性を振り回すメディアに取り残される人々とは。

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今日はここ最近の出来事を思ってのぼやきです。

そんな暇なんてないわ!!と思ったそこのあなた。

他のページは最近ぼやいてないので、そっちをみてね。

 

 

 

昭和生まれなので、どうしても先入観というか固定観念が染みついちゃってるもので、

これはダメだろう、これはどうなんだろう?

モヤる場面がものすごーく増えたように感じてきています。

 

自分たちが生きてきた青春時代と今の若い子たちの青春時代の比較に、情報の利便性、ネットへの参入度を顧みるともう比較しちゃダメなほどに離れすぎているなと思うのです。

 

ぱんだには子供がいないので、若い子と接する機会は社会の中かネットでしか触れ合えないので、現実世界をもがきあがきながら生きようとしてる子を導く立場の親の視線に立ててないのも一つの原因。

 

保育園の内部事情、小学校の内部事情、中学校、高校から大学。

昭和の時代の記録媒体が黒板とノートから、ipadとスマホの黒板文字撮影、またはZOOMのオンライン授業、アーカイブ。

 

比較しようがないほどIT化の波が、たった30年余りで突き進んでいる。

ここでついていけない、昔は良かったと過去を懐かしむだけじゃ令和の時代には生き残れないので、今の時代と昔はこれはこれ、それはそれ、と割り切って過去を捨てるじゃないけど、昔はダメだと言われてたけど、今なら何をやっても大丈夫そう!心を解放しよう!

 

そういう、なんだろう。心の鎖?を解き放って、うまく令和に溶け込もうとしている40代が増えてきたように思うんです。

 

そう思うきっかけは、氷川きよしさん。

ズンドコ節で知っている人は多いですよね。演歌歌手でイケメンで当時の演歌歌手業界では王子と呼ばれて人気のお方。

 

令和になって多様性が視界に入る部分や精神面にも影響を与え、いい意味でも悪い意味でも自己内面の解放がされてきた時代なんだなぁと思える出来事?が起きた。

 

氷川きよしさんの外見が中性になったこと。

若いころ生きづらさを感じていて、今なら本当にしたかった自分ができる気がして。というような事をインタビューで話されていましたが、現在は身体の工事はしてないものの、仕草や見た目は本当に妖艶できれいな美女に変身されています(インスタより)

 

昭和、平成の時代にもいましたよね。カルーセル麻紀さん、美輪明宏さん、美川憲一さん、マツコ・デラックス、おすぎとピーコさんなど。

でもなんというか「こういう芸風の人たち」という枠に囚われていて、氷川きよしさんの変身からの世間の受け入れとは違うなーって感じたんですよ。

 

彼のファンの中には、王子だった頃の面影が好きな人も当然いる。でも一方で今は今で、彼の好きなことだから、と受け入れ許している人もいる。

まぁ「許す許さないなんてファンが口を出すべき問題ではない」という考えが定着してきてるのも、昭和の時代から考えたら多様性が良い意味で広がってってる証なのでしょう。

 

もう一人令和になってから男性から中性、女性に変化している方がいる。りゅうちぇるさん。芸人相方のぺこと交際、結婚し子供を授かったが、自身の生きていきたい道を進んでいきたい、嫁のぺこさんは夫の意見に賛成し離婚。一緒に暮らしていき嫁から見たりゅうちぇるは夫であり子の父親であることはこの先もずっと変わらない、と宣言している。

 

こちらは子が可哀そうだなどの意見批判がものすごく出て、今は沈静化されているが、当時は炎上しまくっていた。

多分報道していないだけで、張り付いて彼の行動すべてに批判する方が出てきてもおかしくないぐらい酷い。

 

氷川きよしさんとりゅうちぇるさん、どちらも女性に変身し片方は受け入れられ片方は炎上する状態はまぁ置いといて。

 

ふとね。

男性性が世の中に生きづらさを感じて女性になる出来事はニュースや芸能関係でも多く情報が入ってくるのに、女性が生きづらさを感じて男性になるニュースってあんまり聞かないなって思ったの。

 

虹団体にがっつり踏み込んでいる人たちへのインタビューや雑誌での取り上げでは見かけるよ。

でも全国メディアに出てくることって、あんまなくない?

 

 

これだけ育児や女性が出世しずらい社会だといわれ続けている中で、女性性の方たちは日夜男性たちと戦ってきてる現状、情勢の中で、なんであえて生きづらいといわれている女性になりたい男性が増えてきてるのかな、って不思議に思えた。

 

まぁ上の発言はあくまで女性から見た社会図な訳で、男性社会の中から見た女性たちが生きている社会は違って見えているんだろうとは思う。

 

 

痴漢被害が多発、逮捕または泣き寝入りする被害女性が後を絶たないことを受け、一部通勤ラッシュ時には電車車両に女性専用ができたり(完全女性専用車両ではない)、会社用バッグを手に持つ位置は、女性のお尻部分に当たることから痴漢に間違えられる冤罪も増え、痴漢行為をしていないことを証明するために男性側はつり革になるべく両手を出し下半身部分に手がいかないように工夫するようにしなければならなくなったし、

少し前から育児休暇においても一切手伝わない夫が増え、ワンオペという言葉が一つの言葉として定着していきているが、女性と男性の大変さが「育児+家事>>会社」という声をものすごい拾いあげて、育児+家事が全く苦じゃなくて好きな時間もあって楽しめている声が拾われていない情報操作がメディアから見え隠れするのも、なんともいえない。

 

 

男性社会、女性社会と大きな枠で見てしまうと、それはもうおおざっぱすぎて。

細分化したら、比較なんて絶対に出来ないはずなのだ。

 

頭使う仕事もあれば、体力命の仕事もあるし、やってみたら得意だった不得意だったものもあるだろう、子の性格、元気か病弱か、健常者か障害かによっても役割や動き方も変わってくる。

 

多様性を中心にするならば、他者と比較するなんて生まれないと思う。

許す許さないなんてファンが口を出すべき問題ではない

氷川きよしの時に出したが、これを言い換えるならば、

許す許さないなんて他人が口を出すべき問題ではない

のである。

 

それらを総合的に見ていると、女性が生きづらさを感じて苦労している、この令和の時代は辛い、と感じている世界は、男性たちから見たら違うポジティブな視点があるんだろうなと思わざる得ない。

 

こういっては多くの敵を作りそうだが、もっと広い視野で自分たちだけの辛さや苦労のみに目を向けるのではなく、男性側の世界に目を向け歩み寄る必要もあるのではないだろうか。

自分たちの方が辛いんだという思い込みを辞め、男性社会の辛さや苦労はどんな場面にありそうか?想像するだけでも認識が変わるような気がする。

 

 

ちょっと話がズレちゃうんだけども。

 

下ネタ系、生理現象の話題で申し訳ないんだが。

なんか男性が処理できる場所?なくなってきてない?

個室があったビルも姿が見えなくなってきてるし、家の中に自分だけの部屋があるなら別だけど無い家庭も多そうで。

そうなると、どうしてるんだろう?ってふと思ってしまった。

 

相方に聞くと

「しなくても平気だからしていない」

っていうのね。

 

情報から受ける性欲の刺激が低下、またほかの2大欲求が大きくなりすぎたことが要因により男性ホルモンの減少、また精子の減少が進んでいくと男性不妊が今後増えてくるような。。。。

 

汚らわしいもの、聖人君主な二次元の男性の賞賛、神化というか。

なんだろう。なんかね。性に貪欲というかそういう部分も持ち合わせているのが「男性」なんだけど、嫌われているじゃないけど、なんか違和感があるのよ。

うまく言葉で表現できないんだけども。なんだろうね。

 

多様性を重要視し、子を産まなくても良い、恋愛も自由、生きることも自由。

倫理も貞操観念も自由に進んでいったら、突拍子もないイメージで申し訳ないんだけど、宇宙人のグレイみたいな世界感になっても可笑しくないなーと……。

 

隣の芝生が青く見える現象はあくまで思い込みだから、女性視点で見えている世界と男性視点から見えている世界が違っているとするならば、情報に対するメンタルの強さや弱さに比例して捉え方が違うんだと考える。

 

メンタルが弱っている状態が常ならば、たとえ同じ情報を受け取っても、ネガティブな側面を想像し勝手に解釈してしまうし、健康な状態であればポジティブな側面があるように解釈するだろう。

 

例えば、朝の占いで、ラッキーな食べ物はバナナ、という情報を見た後でラッキーな場面に遭遇した時にバナナを食べていたら、今朝の占いは当たっていた、と思い出すが、不幸なことに遭遇した時にバナナを食べていたら、今朝の占いのことなんて思い出さないか、あの占いは当たらないと勝手に解釈し、次からは見なかったりするほど、人の感情、メンタルから受け取る情報の解釈にはバラつきがあるじゃない。

 

 

そのぐらい一つのなんでもない情報でも、メンタル一つでどっちにも転がる。

それがその先の行動にさえ影響を与えることも少なくない。

 

となると、冒頭の先入観、固定観念がループする。

 

 

総合すると、令和という時代になって「多様性」が独り歩きし、うまく取り入れメンタルを解放して生きている人は、芯を持ちブレずに生きていけている人で、受け入れられずに「多様性」という言葉で強制的に押さえつけられている人には、生きづらい時代になっているように感じてしまう。

 

そこの差がとんでもなく離れてて、うまく双方が浸透していくには時間がかかりそう。

浸透していかない片方の魅力だけを取り入れた未来は、生殖機能を持たない宇宙人のグレイのようなSF世界が現実世界になる日がきてしまうのではないか。

そう思わずにはいられない。

 

 

 

オチがすごい話になってしまったが、人間には宇宙人の血が入ってる宇宙人論とかそっち界隈の人ではないのであしからず。

ぱんだのぼやきでした。

 

まとまりがない話に最後まで読んでいただいたあなた。ありがとうございます!