このブログを立ち上げた経緯は?無二ぱんだってどうして無二ぱんだっていうの?
無二ぱんだってどんな人生を送ってきたのー?
疑問に思う方がいるとかと思いますので自己紹介をします。
ブログにはここに記載されていることが反映されていませんが、こんな人物が書いているんだとご理解共感して頂けたら子喜びします。
少々長いですが、お読み頂けたら幸いです。
このブログを立ち上げた目的
両親が70過ぎになり母に軽度の認知症が見られるんです。
父は家事が一切出来ない人なので、二人暮らしでやっていけるのか心配しています。
ぱんだはメンタルが改善出来たといっても、体力なく病弱なため
ブログで少しでも収益化したい、介護資金にしたい、と思い立ち上げました。
(借金も少しある)
在宅でも仕事は可能。努力次第でどうにでもなる!
目標と夢の実現に向けて、日々切磋琢磨しつつ、培ってきた経験から役立てる情報を提供できるように頑張っています!
現在広告がいくつか出てご不便をおかけしております。
テスト含めてどういう状態が一番良いのか試行錯誤中ですのでお気になさらずにお読みください。
では次からは無二ぱんだの歩んできた道を説明していきますね。
重くて長いので、時間があって読みたい人だけ読んでくださいませ。
幼年期から成人するまで
スキンシップが嫌いな母と躾に厳しい父の元で長女という期待に応えようと言われるがままに幼稚園に通いつつ塾と習い事に励む日々。
小学校に上がると家庭教師と塾に通い、母が敵視している家庭の娘に対抗するべく無二ぱんだに私立の中学を受験するよう勧める。
母の思惑に反抗し受験勉強放棄した結果、試験は全て不合格。
そこから母の無二ぱんだへの教育熱が冷めて放任がスタートされました。
高校への入学手続きも大学の入学手続きも無二ぱんだ一人で実行実施。
無二ぱんだの通っている高校や大学がどこにあるのか興味も無かったので、文化祭の時に初めてパンフレットを見せて最寄り駅から行き方を教えていました。
過保護な母から自立
放任主義だった母の過保護が始まったのは、弟が遅い思春期と反抗期から当時交際していた彼女の家に、実家から逃げるように引っ越しをし実家に子供は無二ぱんだだけになった時期からですね。
その時無二ぱんだは社会人で残業酷く社畜でした。
30過ぎても残業で帰宅が遅くなる連絡を入れていても、警察へ連絡しちゃうぐらい母は過保護でした。
どこへ行くにも場所と住所、電話番号を教えてじゃないとGOサインが出てくれない程。
ちょうどこの時期、ニュースで独り暮らしを始めた女性が殺されるという事件が相次ぎSNSの声を紹介する形を報道していまして、母としては親が子供の管理をきちんとしておかないと駄目だ、と感じてしまっていたようです。
成人してしまえば、自分の身は自分で守るもの…だと思いますが親心としてはそばにいて欲しい気持ちは分からなくはないので、適当に母の話に合わせていましたね。
それって毒親じゃないの?
毒親かもしれません。
でも、毒親を理由に自分の内面を顧みずに蓋をするのは違うと思っています。
何故自分の両親が毒親なのか、客観的に母の言葉の裏や背景に歩み寄り両親を許すことをしてみて下さい。
いくら両親が意見や考えを押し付けてきたとしても、逃げる方法はネットや近所の人に相談することも出来る時代ですし、自分の考えをきちんと持っているならば、諦めることなく反抗することだって可能ですしね。
それをらを切せずに親が悪い、と決めつけてしまうのは如何なものかな、と思います。
友人の家に家出をして実力行使をする友人もいました。
無二ぱんだは、一時期ビジネスホテルから会社に通勤したりして家に帰るのは嫌なんだ、と意思表示を示したりしていました。
まぁ宿泊先のビジネスホテルでは顔パスになってしまってましたが(苦笑)
無二ぱんだの性格
無二ぱんだは、小心者で言葉での傷つきを恐れるあまり、安心するまで徹底して観察していました。人間観察が趣味といっていたほど。
おかげで無二ぱんだを知る友人達からは、人の分析力の精度は99%と言われていました。
「残りの1%は何かって?」
私自身は認めたくないのですけど、友人達曰く天然らしいのです。
ですので、どこか抜けているらしいです(抜けているってどこなのー)
責任感は強い反面、大雑把な面もあり、実行に移すまで腰が凄く重いです、熊猫だけに。
先が不安で動いていいか分らないため、情報リサーチを凄く丹念にします。
動き始めると、最後まで期待に応えようと頑張ってしまう傾向が強いです。
頑張り過ぎて頼れる人に迷惑をかけてしまうかもしれない。
若い頃はそう考えていましたが、無理して頑張って心を壊してしまう方が相手に迷惑をかけてしまうと気づき、体が発する危険信号に目を向けるようにしています。
まぁ、それでも時々死んだ魚の目になっていますけどね(;´Д`)
子供は親の面倒をみるのが当たり前だ、と言われて育ちましたが、その呪縛から解放してくれた相方には感謝してもしきれません。
お金を得る=親の代わりに頑張ること
ぱんだが働いてお金を得ることは、両親の生活を支えるのが最優先で自分の為ではありませんでした。
子供は親の生活面を助けるのが当たり前だ、と耳にタコが出来るほど言われ続けていましたので、月の給料、ボーナス、収入が得ると半分のお金を両親へ。
それが当たり前だと思い仕事を頑張っていたのですが、気づかないうちにメンタルに支障が出ていたようです。
蓋をしていた心の綻びが切れた
毎月残業70時間を半年続け、毎朝7時前に出勤、片道通勤1時間半、乗り換え3回、満員電車に揺られ、帰宅は午前様の時もあり、時に家に帰らずビジネスホテルに泊まりこみ、睡眠4時間の生活を繰り返し、土日は電車に乗りたくなくて、家にこもりがち。
オンラインゲームに現実逃避をし一睡もしないまま会社に行く日も多々…。
その結果、身体とメンタルを壊してドクターストップが掛り退職。
半年間きっちり仕事のことを一切考えずに過ごすこと、と凄く難しい課題を出され
趣味や気分転換に出来そうなものはないか探す日々になっていました。
退職しても続くよお金の催促
「ボーナスがある会社ならどこでもいいじゃないか。
家にずっといて良いことなんて一つも無い。
一度は大手に勤めたんだから、また大手に採用してね」
家で仕事を探している時に言われていた言葉です。
生活費として給料から少し、ボーナス時にはその分上乗せで両親にお金を入れていたのがここへきて災いに。
いつからか両親の言葉に反発するかのごとく、正社員ではなく派遣社員、パートと選択肢は下がっていきました。
外で働くことの怖さ
パートで働くようになり、職場の人間関係のストレスや実家でのストレスへの発散方法が上手く見つけられていない頃から、ある兆候が出るようになりました。
それは仕事開始初日、必ず失神すること。
前後の記憶も消えます。
当日、それも1時間だけとかでそれ以降はその兆候は一切出ないのです。
それでも初日にまた倒れたら…その不安や恐怖から一度就いた仕事はなるべく辞めないように継続出来るようにしよう、そう決意して頑張っていました。
その後趣味であるゲームで相方と出会い色々と話し合いをした結果
相方の勤務先に近いところへ新たに引っ越しをし、職場は遠くなってしまうために退職。今は実家を離れて相方と新居で暮らしています。
ゲームが趣味なんですがここにはほとんど出てきません。
また料理は一緒に住むようになってからするようになったので料理歴3年です。
時々アレンジ料理を作り見た目が凄いことになって相方に怒られています(泣)
大雑把が災いしてトイレ用品や靴下、下着を相方のPC画面に干しているのを発見され
相方が激おこになることも多々…。(相方は潔癖症)
無二ぱんだは洗剤入れて洗うのだから別に気にしないタイプ。
料理に小さーい虫や髪の毛が入っていても、取って食べたらいいじゃない、と気にしないです。
こんな無二ぱんだですが(どんなだ)好感や感心を持っていただけたら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
応援して頂けたら嬉しいです!