ぱんだの徒然日記

無二ぱんだが料理やスイーツ、気になる事を追求していくブログ

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《両親に関して》40年余りの経営に幕を閉じる

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たまには父の話を。
父が今働いているお店は、テナントになり、今月末で閉店になります。

建物自体老朽化が進み、一時期リニューアルオープンも考えたそうですが、それで持ち直す見込みが立たず
2019年9月30日で38年経営に幕を閉じる事になりました。
場所は、旧ダイエー所沢店、新イオン所沢店になります。

www.aeon.com
閉店セール、売り尽くしセールを実施中なので、家が近くの方は是非足を運び、従業員の勇姿を見て頂きたいです。

さて、ここで父の昔話を。

若い頃の父は、大学で経営を学び、大手不動産業界に就職。
人間関係にやられ、胃潰瘍になり4/3の胃を摘出する手術を30代で受け
新宿の京王デパートで紳士服を販売していました。
友人もたくさんでき、楽しい時間だったようです。
その後、紳士服仲間の友人が経営していたお店の後を引き継がないか?と声をかけられ、引き継いだのが「ROSE」という婦人服のお店になります。

バブル時代にはお金が余る程で、恩恵をうけた家族は毎年国内旅行へ行っていました。
父は車が好きで、スポーツカーを何度も乗り換えていました。
母は新宿の伊勢丹で化粧品を販売している時に父と出会います。
その後結婚し、家庭に入り、仕事は退職。専業主婦になっていました。

が、それもバブル崩壊でがらりと変わり。

父の経営が徐々に困難に。
まぁ、バブル時代の生活水準を下げないとそうなりますよね。

生活が厳しくなっていき、専業主婦だった母は働く事を決意。
国家資格をもっていた母はほどなくして病院で正社員として働くことになりました。

父は友人から引き継いだお店を手放すことはせず、毎日夜21時まで週6で働いていました。
仕事の愚痴や仕事内容は一切家庭に持ち込むことはなく、帰宅してくると自室にこもり書類を作成していました。
当時を振り返ると、自営業だったので経理は自宅でしていたのだと思います。

母が仕事が休みの日は、父の店番に立ち、仕事の手伝いをしたりもしていました。

その頃でしょうか。
母の疲労がピークに達し、給料面で夫婦の立場が逆転したことがきっかけで、心に余裕がなくなり
父の仕事に問い詰め攻撃する母の姿を頻繁に見ることになります。

サラリーマンでしたら、転職したり上層部に給料の値上げを直談判したりと他力本願が出来ますが、父は自営業、社長。
経営が火の車状態となっても、友人から譲り受けたお店を手放すことがどうしても出来ず、また新天地へ移動する金銭もなく
ただただひたすらに、お店の維持に神経を注ぎ、工面するのでした。
男のプライドと意地、家庭を少しでも養うという名目の自分自身の居場所確保のために・・・。

その時、子供たちは受験やらで多額のお金が出る時期だったので、どうやって金額を確保するか
家庭内の夫婦間はピリピリした空気になっていました。

それから10年の月日が経過。
その間に、子供たちに何か残せないかと考えた夫婦は分譲マンションを購入し、場所を移します。
その後、父がくも膜下出血で倒れる事件が起きます。
その時の記事は、こちら。
https://panda7853.hatenablog.com/entry/2019/09/02/171429panda7853.hatenablog.com

父を最初に発見したのは、母でした。

脳にダメージを受けた事で、父の性格が一変し、仕事の愚痴を家庭に漏らすようになりました。
聞き役は母です。

父の外見も年齢と共に黒い髪から白髪交じりになり、完全な白髪になり、背中も猫背が災いしたことで若干丸くなり
40年余りの通勤が車だったせいか、カルシウムをあまりとらなかったせいか、骨粗しょう症になり
自分の唯一の居場所であったお店の維持が、自分自身だけで補うだけの気力や体力が病気になった事や年齢により衰え
心が弱くなっていきました。
その部分が、外見に現れていたのだと、当時を振り返ると思います。

ダイエーがオープンしてから、父はそこにお店を入れずっと共にしてきました。
ダイエーの店長とも何度も話し合いを行い、直談判してきたと話をする父。
それでも、それでもどうにもならなかったんだと、涙を流しながら当時を振り返りつつ若い時の過ちを詫びて謝る父。
それをうん、うんと淡々と無表情に聞く母。

精いっぱい家庭を養うために、頑張って働いてき40年の人生を捧げてきたお店。
そのお店を譲った友人が病死したことも、きっと頑張って火の車になっても畳まなかった強い意志だったのかな、と私は思います。

さて、ここで皆さまにお願いがございます。
父の勇姿を、イオン所沢店で働く全ての従業員の勇姿を。
ダイエー所沢店からイオン所沢店になっての38年間の歴史を、閉店する9月30日までに、今一度足を運んで頂きたいのです。

そこに当たり前のようにあった建物が無くなります。

増税前の駆け込みを、閉店セールで売り尽くしをやっているイオン所沢店で買うのはどうでしょうか。
テナントは、こちらイオン所沢店の公式サイトから見ることが出来ます。
www.aeon.com
ユザワヤや、ダイソー、アニメイトなどが入っています。

父のお店は、2階にある「ROSE」という婦人服になります。

私が皆さまにお願いするのは本末転倒だと思います。
本当に、本当に、くも膜下出血で倒れた後も、記憶を失っていた後も、頑張って店に立ち、畳むことなく頑張ってきた接客業の父のところに
少しでもお客様が足を運んで来て頂けたら、父は喜ぶと思うのです。


皆、何かしらの想いを持ち、閉店するその時まで精いっぱい頑張って働いています。
全国で閉店するデパートも増えています。

最後の時まで、今一度、どうか、どうか足を運び、最終日戦い抜いたやり切った、と働く人達が思える日を迎えられますように。
この記事を読んだ方々の伝達、行動のご協力を宜しくお願い申し上げます。