ぱんだの徒然日記

無二ぱんだが料理やスイーツ、気になる事を追求していくブログ

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《両親に関して》認知症の疑い

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最近日常から離れた記事を書いていましたが、新たな出来事が出来たのでそれを綴りたいと思う。

ずっと認知症だった祖母が2年前の8月に亡くなり、数日前に3回忌で実家に帰省していました。
この時、父は73歳、母は69歳。

このブログでは過去祖母の認知症について綴っていたと思いますが
生涯老人ホームでの祖母の暮らしは10年程続き、老衰で亡くなるまで老人ホームの月謝は毎月6万支払い。

父は自営業を続け、母は看護師として働きながら祖母の身の回りのお世話を時々しに行くルーチンワークでした。

この頃の母の生きがいは、看護師と、妻として祖母の介護だったと思います。
元々は過保護で子供を育てるのが生きがいだったのですが、子供二人が飛び立ったので、祖母の月謝を払う為に仕事を頑張らなければ、という気力で続いてたのではないか。

過去の話から、この話をするには長い話になるので、そこは父の病のカテゴリーで読んでみて下さい。

看護師として仕事一筋できた母が、祖母が亡くなった事により生きがいを失い仕事を辞める事にしました。
その後、祖母の命日2017年に母に会いに帰省した時、何やら違和感を覚えました。


何か可笑しい・・・。なんだろう?


今年2019年の母の日5月13日に母を祝うために実家に帰省しました。


何か可笑しい・・・。まさか・・・?いや、そんなはずは・・・。


今年2019年7月、祖母の三回忌があり実家に1泊二日帰省しました。


命日から、母の日に感じていた可笑しさの正体が判明しました。


祖母の認知症になり始めの初期症状を、母がしていたのです。


なんで? どうして? 仕事一筋でただひたすらに働いて身を粉にしてきた母が祖母と同じ道を歩むのか?
呆然とすると共に、祖母の介護を母に任せっきりにしていた罪として
仕事一筋だった母を労わるためにやれ、と言われているように感じました。

逃げてきた目を背けてきたことは後で必ず経験するために戻ってくる・・・。


父にも話をしました。
「お母さん可笑しくない?」
「あぁ、数か月前から急に来た。その場で話したはずのことを覚えてなくて、再度聞き返すんだ。今いったろ!? そう言っても聞いていない、ていうんだ。つい怒鳴ってしまう事が最近増えてる」
「・・・・・・」

完全な認知症になった訳ではありません、きっと。
アルツハイマーなど認知症にも種類があります。


今年で父も仕事を辞め、母と二人生活が始まります。
母を病院に連れていきたいけれど、母はまさか自分が祖母と同じだとは信じられず、それとなく伝えてみても、突っぱねられてしまっています。


早期発見、初期症状であれば、完治しないですが先延ばしにすることは出来ます。生活する上で料理の味付けを間違えたり、人の見分けがつかなくなる段階は、小中大でいう中に当たるため、それより前の母のような症状であったならば、是非「物忘れ外来」へ家族と一緒に診断を受けに行って下さい。

まだぱんだは母を病院へは連れていけていません。
老人ホーム、役所での支援、遠距離介護で出来ること、色々情報収集をしています。

銀行口座も親子関係が明白に判らないと、いくら娘だといっても詐欺があるためお金をおろすことは出来ません。
当人が亡くなったあとは凍結されるため、もちろんおろせません。

全て忘れる前に、

  • キャッシュカードの暗証番号
  • 生命保険加入内容
  • スマホ・携帯加入プラン、内容
  • クレジットの暗証番号
  • 何を何枚所持しているか


確認しておく必要があります。
まだ他にも確認するべき内容があるかもしれません。


今ぱんだに出来ること、それを行動に移していこうと思っています。


言葉が他人行儀に聞こえるかもしれません。
祖母の認知症に少しながら関与し、自分自身のこと、母のこと、父のこと、兄弟のことを常に冷静に内面から深く掘り下げ客観的に見えるようにしてきたからだと思います。
が、決して気持ちがないわけではありません。
そこだけはご了承下さい。