ぱんだの徒然日記

無二ぱんだが料理やスイーツ、気になる事を追求していくブログ

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学校の中で、いじめる側といじめられる側の意識下にある心理と考察

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いつの時代でも「攻撃をする側」と「攻撃を受ける側」の立場はずっと無くならない。

その人の人間性に問題があるから無くなるはずがない、という声も聴くが果たしてそうだろうか?

 

当時の無二ぱんだの声

『無二ぱんだね、学生時代すっごく目立ってたの。13歳で身長が165cmあった、って理由もあったのかもなんだけど、それよりもクラスの中にいても存在感が強いって先生に言われて、何か行動をするたびに目を付けられていたの(´;ω;`)ウゥゥ』

 

 

目立ちたくても中々目立つことが叶わない子。

アクションや大声を発したり、生徒会委員長をしないと注目してくれないと感じている子。

学業で1位を取り続けることで注目をされたい子。

運動神経の良さをアピールポイントと捉え、運動会では一等賞を目指し頑張る子。

 

大勢の石達の中からダイヤモンドになりたいと願う人は一定数いる。

あなたは学校で目立ちたかっただろうか?

 

無二ぱんだは、目立ちたくない子供でした。

運動神経が良いわけでもなく、学業が良いわけでもなく、服装が目立つわけでもなく、生徒会委員長になんてまっぴらごめんな、そこに身体はあるが空気のような存在感で居たいことを願う子供。

 どこのクラブやサークルに所属することなく帰宅部を選択し、授業が終わると一目散に家路へ急ぐ。

 

目立たないようにする努力をしているのに、なぜか何をしても注目される。

声をかけられる。質問される。からかわれる。

 なぜこんなにも注目されないようにしているのに、目立ってしまうのか?担当教師に質問したことさえあります。

 

当時の無二ぱんだの声

『ねぇねぇ、先生?無二ぱんだね、目立ちたくないの。なのに声かけられたりちょっと運動したりすると、学校のベランダから大声で名指しされたりするの。早く走ってる訳でもないし、成績100点取ってるわけでもないのに…なんで目立つのかな?』

 

教師

『君は、存在そのものの漂うオーラみたいなものが目立つから目立たないようにやっていても、していなくて目立つんだよね~。目立たないように工夫しても逆効果で余計に目立ってしまうから諦めた方がいいよ』

 

当時の無二ぱんだの声

『そ…そんな…、存在が目立つって存在そのものを消すしかないの…(´;ω;`)ウゥゥ』

 

あんまりな回答を貰い、絶望感に打ちひしがれた中学時代。

 

さてここで途中ですがまだ続く話は、目立ちたい子と目立ちたくない子のズレとタイトルの伏線を張る作業になっています。

まだ続くであろう文章ですが、気になって読みたいあなたは、そのままお付き合い下さいませ。

 

*この話は無二ぱんだの実体験に基づき、タイトルにあるように攻撃する側とされる側、それぞれの背景にズレとともに共通した背景があると悟った考察である。

 

*また、無二ぱんだはいじめを中学3年間と高校3年間、大学2年間と計8年間受けてきた経験と体験から、双方の原因に焦点を当てた考察であり、いじめを推奨するものでは決してないことをここに宣言します。

 

無二ぱんだはこの時の教師の発言から、学校内でからかわれたり、学校以外で声をかけられたり全学年の生徒が無二ぱんだのことを知っているけれど、無二ぱんだは相手を知らない状態を「いじめ」または「いじめに相当する扱いを受けている」と感じていました。

 

なぜ、いじめを受けていると感じていたのか?

その謎は後で解明します。

 

「目立ちたい子」と「目立ちたくない子」であるが、その違いはどこから生まれるのだろうか?

 

少し掘り下げていってみよう。

目立ちたい子の家庭環境はどんな感じか、あなたは想像できますか?

 

人は欲求というものが必ず存在する生き物である。

食欲だったり睡眠という三大欲求というものの他に、存在認知の欲求というものもあると無二ぱんだは考える。

 

存在認知とは?

家族で兄弟が多かったり、有能な兄弟と比較されたり、共働きの両親の元で自分自身が大事にされている、という実感が欲しい欲求である。

*この存在認知とは、元々ある単語ではなく無二ぱんだが作った造語です。

 

この欲求が満たされていないと、大事にされたい場所の範囲が広がり家庭から自分に向かう矛先全てが焦点となる傾向が高い。

だから、家庭以外にいる時間が長い学校を拠点とし、同級生や先生に頼りにされたい、必要とされたい、愛されたいという欲求が爆発するだ。

 

目立ちたい欲求の裏にあるのは、両親から十分な「好き」「愛している」「大事」という行動と愛情を自分は受け取るに値しない、優先順位が「1番」ではない、と思い込んでいる背景がある。

 兄弟が多い家庭で育ち、上を見て育ったタイプに多い。また兄弟と比較され、自分の方が優秀じゃないと劣等感を持ち思い込んでいるタイプが多いに感じる。

 

この思い込みというのは、凄く厄介なもので相手へ直に質問したりストレートにそのものの言葉を聞いた訳でもないのに、勝手に、直接的に繋がりがないような言葉を「自分へ向けた発言であるに違いない」と自分の妄想に妄想が広がり自分自身の思い込みが間違いではなく真実だ、と思い込んでしまっている重症な状態である。

 

 自分の思い込みは間違った考えではないか?

不安に思うことがあれば、まずそこを疑うことから始めてみるといい。

 

そして本当にその思い込みは正しいのか?

思い込むに至った原因の相手へ、主語と述語を飛ばさずに具体的に質問してみよう。

なぜなら大抵のその思い込みは、間違っているからである。

 

話がズレたので戻す。

 

目立ちたい欲求の背景が判ったところで、目立ちたくない欲求の家庭環境は愛されていると思い込んだことによるものだろうか?

否、当てはまる部分もあれば異なる部分もあるといえるだろう。

それはどんな部分なのか、無二ぱんだの経験から考えから述べていくことにする。

 

当時の無二ぱんだの声

『無二ぱんだには弟がいるの。私には長女だから我慢しなさいって注意するんだけど弟は一切注意されないの。理由を聞いたら、弟は男で将来家庭を養っていく立場にあって自分で考えて行動していく必要があるから、今から学んでいかないといけないから好きにさせているのよ、ってお母さんがいうの。でも、だからって不公平過ぎる気がする。

弟は良くて私がダメなんて。そんな理由意味が分からない。お母さんは私より弟の方が好きなんだ』

 

無二ぱんだには弟が一人の弟姉構成である。

姉は第一子ということもあり、親の世間体の願いを一身に背負い、何か行動をすると常に弟と比較され生活していた。

【長女だから】【長男だから】と、昭和時代を生きてきた人であれば、同じように言われて育ってきた人は多いはずだ。

 

この言われ続けてきた【呪文】の言葉から、長女である無二ぱんだは「我慢」と「辛抱強さ」を無理やり身に着ける。と同時に、自分よりも年下には優しくありなさい、と言われるのである。

長女の無二ぱんだは、時に親の顔色を、時に兄弟の世話を、実年齢とはほど遠い生活をしていくことで、自分自身の存在を無くしたい、全ての【呪文】や世話から解放されたい欲求を抱くようになる。

 

その結果、せめて家庭以外の場所では、静かに何もせずに休まる場所として過ごしたいと思うのだった。

まぁ、そうは思っていても、長女の潜在意識に刻まれた【呪文】は強いので、無意識に面倒見の良さが発揮されてしまうこともあるのだが……当人はこの面倒見の良い部分を長所として捉えていない場合もあることを覚えておこう。

 

冒頭での「いじめを受けた」と感じた理由は、この上記の何もしたくない心が静かで休まる場所として過ごしたい気持ちを、踏みにじられていたからである。

 

ここで余談だが、もし身近に長男長女の知り合いがいたら、こまめに見ていて欲しい。

彼らは大人になっても【呪文】の解き方を知らずに過ごしている場合も多く、人に頼ることをせずに独りで頑張り過ぎてしまう性分や親の代わりに親のような世話をしてきた経験から、甘え下手であり疲れている自覚がないまま、気づいたときには精神すり減っていたりもするのだ。

 

 

さて、目立ちたい子と目立ちたくない子の背景にある家庭環境や背景が判ったところで、ここからが本題である。

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いじめる側といじめられる側の意識下にある心理と考察

 

何をやってでも目立ちたい子、何がなんでも目立ちたくない子。

これに思い込みの概念をプラスし言葉を変えると、

「日々努力を重ねて頑張ってるのに願いが叶わない子」「日々努力をしなくても願いが叶っているように見える子」の話でもある。

 

 

 

いじめる側の背景といじめられる側の背景は、この目立ちたい子と目立ちたくない子の家庭環境が多いに共通しているのだが、お気づきだろうか?

 

双方の家庭環境の背景には「愛情」の不足か負荷か、思い込みによる心の捉え方の違いなのである。

 

いじめをする立場の人が発言する言葉で、

 

「いじめを受ける方が悪い」

という言葉がある。

 

これは実にストレートに発言をしているようで、本当に言いたい言葉が抜けている発言なのである。

 

正しくは

「私(俺)には叶えられない願いを簡単に叶えてしまっているのにも関わらず不服そうにしている、私(俺)から全てを奪っていく、私(俺)をいらつかせるお前が悪い」

という自らの思い込みから、自分に非があるうであろう本音を隠した言葉なのだ。

 

誰の心にも該当するであろう話だが、本音と建て前の言葉において、自分の方が弱い立場になると思い込んでいる本音は隠したがるだろう。

 

どちらかといえば、いじめをする側の方がいじめを受ける側よりも劣等感やコンプレックス、愛情不足の強度は強い傾向が見受けられる。

 

本来の背景は違うのだが、思い込みによりそうであるに違いない、と相手を先入観で見ているために他人の言葉や情報が入り込む隙間がない。

となると、入り込む隙間を作るにはどうしたら良いだろうか?

 

それには当人が考えている思いを全て洗いざらい相手へ建て前も本音も吐き出す、ぶちまける必要がある。

ただこれにはものすごくエネルギーが必要となる。

 

いじめをしていた側やいじめを受けた環境に居ない人には、エネルギーが何故必要なのか判らないかもしれないので、ここで判りやすく説明しよう。

 

心の底から憎たらしいと思っているセクハラやきつい言葉を発してくる上司、言っても性格的に無理なんじゃないか、通じないんじゃないかと思っている母親、または両親に、号泣しても怒鳴られるかもしれない、否定されるかもしれないと思い込んでいる気持ちを吐き出すことは出来るだろうか?

 

きっと、大半の人は、あー・・・無理だー・・・と思うはずである。

 

なぜなら、自分よりも絶対的に悪いと思っている相手に、自分の弱い部分を見せたくない心理が働き、行動に移しずらくなるのだ。

弱みを見せることで相手に嫌われるかもしれない、逆切れされて罵倒されたらどうしようという自己防衛が働くとも見て取れる。

 

同じように、よく耳にする言葉で

「いじめをする側はいじめをしたことを覚えていない」

というのがあるが、これも心の状態を知ることが出来れば至極当たり前にさえ思えてくる。

 

家庭の中に自分という存在がなく、何がなんでも自分という存在認知をしたい状況にある人は心が不安定な状態にあり、愛情の枯渇の病気といえる。

満たしたい心の飢餓に躍起になっているので、冷静な状態とは言い難い。

 

大人になるに従い、心の飢餓状態を潤そうとする対象が人ではなく物に映る傾向もあるため、比較的幼年期の心の不安定な記憶を持ち続ける事で心のバランスが傾くのであれば自己防衛から蓋をして忘れる手段に出ている人も多い。

 

結果、自己防衛本能が働き過去の記憶は脳内から抹消される。

 

いじめを受けた側がいつまでも覚えている理由は、

この心の飢餓状態があるかどうか、自己防衛本能が働いていたかどうかが強いと言える。

 

いじめを受けた側は、目立ちたくない子供であり、いじめをする側から見ると全てを持っているかのような幸せな家庭環境で、両親との関係性に愛情の枯渇は無い傾向があげられる。

いじめを受けたと感じることがなければ、学校は心静かに過ごせる場であり、愛情と兄弟の比較は別問題だと理解しているから。

 

つまり、攻撃する側よりも心は安定しているため、いつまでも覚えている。

これは全ての人に該当するものでは決してない。

心のバランスが保てないと自己防衛本能が働けば、一定の期間の記憶は消えている場合もある。

 

 

さて長々と考察、体験から話をしてきたわけだが、言いたいことはご理解いただけたであろうか。

いじめをする、気に入らないことをしたときに相手を攻撃することは絶対にしてはならないことである。

しかし、何故強い言葉を放つのか?好きで相手を攻撃する人は、相当なサドかサイコパス以外居ないと思われる。

 

つまり、いじめをする側がその行為をすること自体が、目立つための行為であり、心のSOS、アピールなのである。

 

病気になると、いつもは仕事へ行ってしまう母親を繋ぎとめることが出来るかもしれない、と考え無理やり無茶な行為をし病気になってみたが、母親は自分の元へ来てくれなかったとしたら、次にやってみるべき行動はどこへ向かうだろうか。

 

 

共働きをするのは子供のためを思って命を削っていることであるが、子供にそれをきちんと言葉や態度で説明しているだろうか?

”あなたのため”なんて育児放棄をしたいがために、子供をダシに使って説得させてないだろうか?

 

子供はいつだって、ご両親や母親と一緒に同じテーブルでご飯を食べる。

美味しい、と笑顔を見せてくれる。

自分に笑いかけてくれる。

自分は母親にとって幸せな時間の一部である。

仕事よりも大事なものが、自分でありたい、と願っている。

 

大きくなってから、成長して自立してから話せばきっとわかってくれる、などというのはエゴである。

なぜ、その時その場で子供に話せないのか?愛情を接することがダメなのか?

 

いじめをする側もされる側も、家庭環境から来る被害者である。

どちらかが一方的に悪い、ということは言えない。

 

是非、今からでも遅くはない。

子供へ、兄弟へ、抱きしめたり詫びたり、共働きをする意味を本音で感情をぶつけて欲しいと願う。

 

願わくば、ご両親がいる子供が、家が一番ほっとする、くつろげる居場所であると思ってくれることを祈る。

 

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